親王台

更新日:2021年11月30日

頂上に昇る階段があり、頂上に花が咲いている木がある親王台の写真

親王台

親王台は明治時代に築かれた塚で、親王(明治時代は天皇の子から孫の孫までの男子をさす)がお立ちになられたことからこう呼ばれた。この親王台は、明治14年(1881)に有栖川宮熾仁親王(ありすがわのみやたるひとしんのう)が明治天皇の東北・北海道御巡幸に随行(ずいこう)(お伴として行動)して栃木県内を通行した際に、天皇の名代(みょうだい)(代理)として那須野ヶ原の開拓地を訪れるにあたり、開拓地を良く見渡せるようにと、同年6月に那須開墾社により、当時この地に構えていた事務所に隣接して築かれた塚である。

塚の規模は、一辺が約15~18メートルの四角形で、高さは東側が約4メートル、西側が約2.5メートル。この台に上がった親王は、次の2人である。

  1. 明治14年(1881)8月6日、有栖川宮熾仁親王が、東北・北海道方面へ巡幸(天皇が地方をめぐり歩くこと)された明治天皇の名代として訪れる。
  2. 明治18年(1885)9月16日、那須疏水開通式に列席した北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)が訪れ、松をお手植えになった(これを宮乃松という)。なお塚の上には、明治40年(1907)、矢板武によって立てられた宮乃松の記念碑がある。

名称

親王台(しんのうだい)

指定年月日

昭和39年(1964)10月1日

指定別

市指定

区分

記念物

種別

史跡

所在地

那須塩原市一区町122-14

所有者

那須塩原市

見学にあたって

北側に駐車場あり。

地図リンク

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教育部 生涯学習課 文化振興係

〒329-2792
栃木県那須塩原市あたご町2番3号

電話番号:0287-37-5419
ファックス番号:0287-37-5479

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