赤田山

更新日:2021年11月30日

空に雲があり、田んぼの後ろに丘がある写真

赤田山は標高310.9メートルの丘で、肇耕社(ちょうこうしゃ)(後の三島農場)にとって、非常にゆかりの深い丘である。
明治13年(1880)、三島通庸(みしまみちつね)(後の栃木県令・警視総監、子爵(ししゃく))を中心とした人々は結社農場を組織し、この一帯1,037町歩(約1,028ヘクタール)を国から貸下(かしさ)げを受け、開拓事業を始めた。那須野ヶ原における最初の大農場である。同年、三島通庸は農場を視察し、見晴らしの良いこの丘に上がって開拓の構想を練った。翌年6月、三島は再びこの丘に上がり、この時次のような歌をよんだ。
神代より荒れし那須野を拓(ひら)きつつ 民栄えゆく里となさなん
明治22年(1889)になって、三島通庸ゆかりの九州・都城(みやこのじょう)(宮崎県)の母智丘(もちお)神社の神体(神鏡)を複製して奉納した。神社の扁額は、明治初期の太政大臣三条実美(さんじょうさねとみ)の筆になる。なお「赤田山」はすでに、江戸時代の地図に記されている。

名称

赤田山(あかだやま)

指定年月日

昭和39年(1964)10月1日

指定別

市指定

区分

記念物

種別

史跡

所在地

那須塩原市上赤田238

所有者

那須塩原市

見学にあたって

駐車スペースあり。

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 生涯学習課 文化振興係

〒329-2792
栃木県那須塩原市あたご町2番3号

電話番号:0287-37-5419
ファックス番号:0287-37-5479

お問い合わせはこちら

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
このページの情報は役に立ちましたか?



このページの情報は見つけやすかったですか?