板室古戦場

更新日:2021年11月30日

木の前に立つ、文字が刻まれた石碑の写真

板室古戦場

この古戦場は、慶応4年(1868)の戊辰(ぼしん)戦争の際の戦場跡である。戊辰戦争が起こると、旧幕府軍の第一大隊及び会津砲兵隊の一部と回天隊(かいてんたい)は、白河出撃の命を帯び三斗小屋宿に滞陣(たいじん)(約1,000名)していたが、慶応4年(1868)4月軍議一変して大田原城攻略の命が下り、兵を板室(板室本村(ほんそん))に進めた。

同年閏(うるう)4月21日、新政府軍は忍藩(おしはん)兵を先鋒として大垣藩(おおがきはん)兵が続き、二番隊として薩摩・長州勢が北上しはじめた。同日は塩野崎村で小戦を交え、日暮れに旧幕府軍は退き、新政府軍は同地に宿営した。翌22日早朝、新政府軍は穴沢村(31戸)に放火して27戸を焼き、午前10時頃油井村の旧幕府軍(48名)を撃退して進攻、両軍は阿久戸坂(あくとさか)をはさんで激しい攻防を展開した。遂に旧幕府軍約300人は撃退され三斗小屋方面へ敗走し、戦闘は午後3時頃全て終了したと伝えられている。この戦闘で油井(4戸)、阿久戸(6戸)、板室(28戸中27戸)の各村は戦火で焼失した。

名称

板室古戦場(いたむろこせんじょう)

指定年月日

昭和44年(1969)7月10日

指定別

市指定

区分

記念物

種別

史跡

所在地

板室地区

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