原街道絵図

更新日:2021年11月30日

正保(しょうほう)2〜3年(1645〜6)、会津藩は江戸へ米を運ぶための専用道として白河~氏家(さくら市)間に「原街道」を開いた。原街道は「原方道」などとも呼ばれたが、米の輸送が中心であったことから「米附街道」や「米積街道」とも呼ばれた。原街道には本陣や脇本陣などの宿泊所は設置されなかったが、各所に問屋(とんや)がおかれ、諸荷物の運送に携わった。
本絵図は、明治時代初期、旧来の運送制度を廃止し、「内国通運会社」制度が施行された際の、黒磯以南のルートを示したもので、当時の様子を知る大変貴重なものといえる。

原街道絵図の全体図1枚(上段)と拡大図2枚(下段)の写真

名称

原街道絵図(はらかいどうえず)

指定年月日

昭和58年(1983)11月15日

員数

1点

指定別

市指定

区分

有形文化財

種別

古文書

所有者

個人所有

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 生涯学習課 文化振興係

〒329-2792
栃木県那須塩原市あたご町2番3号

電話番号:0287-37-5419
ファックス番号:0287-37-5479

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