引久保百観音堂棟札

更新日:2021年11月30日

塩原の地を支配していた君島信濃守(しなののかみ)との戦いに勝利し、塩原城主となった橘伊勢守(いせのかみ)は、文明14年(1482)に君島氏との戦いで戦死した兵を弔うため、塩原要害城から表鬼門の方角に当たる引久保の地に、1間四方の観音堂を建立した。

橘伊勢守は、寄木造りの本尊薬師如来座像・阿弥陀如来座像の他に、一木造りで西国観音像三十三体と坂東観音像三十三体を制作し、僧侶や嫡子、村人の名を納め奉納した。

その事実を記した棟札は、長さ140センチメートル、幅33センチメートルに及ぶ大きなもので、表に創建日や堂の大きさ等が書かれ、裏には観音像を奉納した人々の氏名が書かれている。

当時の村の状況及び戦乱の様子をうかがうことができる、貴重な歴史資料といえる。

木に文字が書かれている引久保百観音堂棟札(表)の写真

引久保百観音堂棟札(表)

木に文字が書かれている引久保百観音堂棟札(裏)の写真

引久保百観音堂棟札(裏)

名称

引久保百観音堂棟札(ひきくぼひゃくかんのんどうむなふだ)

指定年月日

平成23年(2011)5月9日

員数

1点

指定別

市指定

区分

有形文化財

種別

歴史資料

所在地

那須塩原市上塩原418

所有者

妙雲寺

地図リンク

この記事に関するお問い合わせ先

教育部 生涯学習課

〒329-2792
栃木県那須塩原市あたご町2番3号

電話番号:0287-37-5364
ファックス番号:0287-37-5479

お問い合わせはこちら

より良いウェブサイトにするためにみなさまのご意見をお聞かせください
このページの情報は役に立ちましたか?



このページの情報は見つけやすかったですか?