開こん記念祭紹介映像

更新日:2022年03月08日

開こん記念祭紹介映像を配信しています

毎年烏ヶ森公園で開催している「開こん記念祭」について、開催に至るまでの歴史をわかりやすく学ぶことができる紹介映像「那須野が原開拓の足跡~開こん記念祭にあたって~」を制作し、市動画チャンネルで配信しています。

この機会に、郷土の歴史に触れてみてはいかがでしょうか?

(令和2年度作成 0分00秒から市長あいさつ 2分27秒から本編映像)

市動画チャンネル

開こん記念祭とは

那須野が原は「開拓の地」といわれており、那須西原・東原を中心とする1万ヘクタールの原野に、明治13年(1880年)初めて開こんの鍬が入れられ、三島通庸らが「肇耕社」を、印南丈作、矢板武らが「那須開墾社」を設立し、那須野が原開拓に大きく貢献しました。

この『開こん記念祭』は、明治18年4月15日に日本三大疏水の一つであるこの地を流れる那須疏水の起工式が行われたのを記念して始められたお祭りです。

那須野が原の開墾について

明治13年、かやなどの生い茂る荒涼とした原っぱ(原野)に初めて開墾の鍬が入れられた。その後、明治政府の中枢にあった貴族階級である華族や地元の有力者などによって、大規模農場が次々と開設されたのである。当時、那須野が原(那須野ヶ原、那須野原とも記す)には1万ヘクタールを超える那須西原・東原といった原野が広がっており、そこには一筋の川の流れもなかった。そのため、飲み水を得るのは容易なことではなく、水を求める声は移住者の悲痛な叫びであったことだろう。開拓にかかわった人々の努力により、明治15年に那須原飲用水路が開通、明治18年には疏水の開削が決定し、4月15日、烏ヶ森丘上において疏水開削の起工式が執り行われた。

明治18年9月15日、西岩崎から千本松にいたる16.3キロメートル本幹水路がたちまちにして完成し、三島の肇耕社において通水式が挙行された。北白川宮能久親王のご臨席を仰ぎ、山縣有朋内務卿を始めとする高官や工事関係者が多数参集、疏水の開削に功績のあった印南丈作と矢板武は、銀杯1組を贈られるなど、盛大な式典であったという。その後、4本の分水路が開削され、那須疏水と呼ばれるようになった。かくして、国の那須野が原開拓事業によって永遠につきることのない生命の水が昼となく夜となくこんこんと流れるようになり、大地をうるおした。そして、その流れの先には必ず華族農場があったという。

平成30年には、明治期の華族農場を中心とする開拓の歴史が日本遺産に認定された。多くの先人が那須野が原に残した功績が私たちの宝物になったのである。

この記事に関するお問い合わせ先

西那須野支所 総務税務課 総務係

〒329-2792
栃木県那須塩原市あたご町2-3

電話番号:0287-37-5105
ファックス番号:0287-37-5116

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